毎日のルーティン

若い頃はなかったのですが、年を重ねるごとに毎日のルーティンが増えていっています。まず朝起きたら舌の掃除と歯磨き、そのあとコップ一杯の白湯を飲む。できたら軽いストレッチとかもいいでしょうがこれは続きませんでした。

夜は腕を回して、スクワット7回、肩甲骨ほぐし、片足スクワット左右20回ずつ、最後に腹筋80回。


ややこしいことにスピリチュアル的なものにはまってから気に入ったお寺に年一回お札をもらったり厄払いしてもらうようになりました。それだけに飽き足らず、お札に毎日お礼をするようになりました。真言を108回、お経も唱えます。どれも毎日結構な時間がかかります。


意味があるのかは分からないのですが、ある時始めてしまうともうやめどきが分からなくて、またやめたらバチが当たりそうでやめられないです。なんだか毎日自分で始めたことでがんじがらめになっています。なかなかやばい。


ずっとどうしたら過去にとらわれないでいられるか考えていました。お風呂に入っている時とか寝る前とかふっと過去のことが頭に浮かぶと怒りや恨みでいっぱいになってしまいます。

いろいろな本を読んで、大丈夫大丈夫と自分に言ったり、紙に書いたり、自分を褒めてあげたりといろいろ試してみたのですが、なんかしっくりこないし、時間が経つとまた浮かんできてしまってました。

しかし、最近この夜のルーティンの真言を唱えている時に、(無心にはなれずいろいろ考えてしまいます)自分の心の中の暗闇に向かって手を広げて抱きしめるのをイメージしながら、わたしはよく頑張ってたよ、偉かったよと自分を褒めてあげているとなんだか落ち着くようになりました。たまに泣いたりもするようになりました。今までいろいろ試してきましたが、今のところこれが1番しっくりきています。


よく分からない怪しいルーティンも少しは役に立ちました!心療内科系の本とかいっぱい出てますし、どれも参考になりましたが、その人の効果のあった方法はわたしにも効果があるとは必ずしも言えないですね。すごい時間がかかるし、効果はないかもしれないけど自分なりの回復方法を探す方がいいのかなと思いました。


佐藤多佳子さんの『一瞬の風になれ』という本を以前司書さんに勧められて読みました。いい本ですよね。すごく青春。落ち込んでいる時に読むとなんだか前向きになりました。

学生さんだけではないですね、大人も読んだ方がいいですね。



うらないうらない

占いとかスピリチュアルなことが普通の人より好きだと思います。いっとき一回の占いに1万円くらい使ったり、占いを習ったりしたこともありました。スピリチュアルなことにもはまって2万円くらいのパワーストーンのブレスレット買ったりしていました。


世間で占いにお金を数百万とか数千万費やしました、とか借金こさえました、とかはありません。小市民なので大きなことは出来ないんですよね。せいぜい数万円レベル、規模小さ。


どうして占いとか不確かなことにはまったのかな。不安だから自分を肯定してほしいのか、孤独だから話を聞いてほしいのか、赤の他人に相談する方が気が楽なのか、わたしはすべて当てはまりますね。基本的にいい格好しいなので、自分の弱みを人に見せられないから、占い師の方にも本当のことを相談することは出来ないですが、自分の人となりとかいいことを言ってもらって安心や満足するみたいなことをしていました。占いを習ったのはただただ知りたかったんです。どういう仕組みなのか、でも習ったものによるのですが、改めて占いは習うものじゃないなと思いました。多分一つの方法だけだとあまり意味はなさないような気がしました。いろいろな鑑定を掛け合わせたり経験や人を見る目が合わさって、その人の求めているものに近づいていくのかなと。


あとは占い師のアドバイスはあんまり占い関係ないですよね。わたしは人を占うとかは出来ないので一方的な見方ですが、たくさん鑑定してもらった経験からはどのアドバイスも別にスピリチュアル的な、不可思議な能力によってなされるものではないのかなって思います。


もしかして不思議な力のある人もいるのかもしれませんし、いるなら是非会ってみたいですね。でもその占いで少しの間でも希望が持てたり、ポジティブになれる時間が持てるので、それはそれでいいことですね。


不思議でいうと、わたしは村上春樹さんの作品が大好きです。コロナで家籠りの期間が長かったので(それ関係なく籠りがちですが)村上春樹全作品集を借りて最初の作品から読み直してみました。年をとって読み返すと、若いときに好きじゃなかった作品も面白く感じました。それが1番強かったのが『ノルウェーの森』です。昔は救いのない話だなと思っていたのですがそうでもなかったです。村上春樹さんの話は死ぬことも生きることも初めから決まっていたかのように感じます。宿命的な〇〇っていう言い回しすごく好きです。結局、小さな世界で一喜一憂してるけど、人の生き死もある意味大したことないんでしょうね。



いじめる人は考えた方がよい

今の自分からは想像できませんが、わたし昔は誰とでも友だちになれるタイプでした。


それが変わったのは中学に入学した時でした。いわゆる中学受験をするように言われ、何となく行きたくないけど親に受験をしたくないとも言えず、ズルズルと受験して不幸なことに受かってしまいました。確固とした意思もなかったんですよね。今もですが、わたしの母親は自分の思い通りにならないと不機嫌になるタイプでした。姉は親に反抗的で弟は溺愛されていました。わたしは真ん中で中途半端、いつも母親の言うことをきいていたことを記憶しています。


わたしの中学は、地方の幼稚園からある附属学校だったので中学は外部進学して抜けた人数分しか入りません。そのためクラスでも中学からのメンバーは40人のうち5人でした。

何とか既にできている女子グループに入れてもらい、学校生活に慣れ始めた頃、クラスの男子からいじめを受けるようになりました。最初は教室内を歩くと、キモいなどの悪口を小さな声で言われるようになりました。その時は何もしてないのにいじめられるとは思ってなかったので深く考えてなかったです。でも数日のうちにすれ違いざまに大声で悪口を言われるようになり、廊下でも他クラスの見たこともない男子たちからキモいキモいと言われるようになりました。席替えでは、わたしの隣になった男子は大声で文句を言い、係活動でわたしとペアになった男子は泣きました。

1学期が終わる頃には休み時間に席から動くことができなくなりました。当てられて発表しないといけない時も発言したらまた何か言われるかもしれないと声もどんどん小さくなっていきました。周りは幼稚園からの友だち同士、わたしはよそ者で誰が味方で誰が敵か分からず、どこに行っても悪口を言われている気分でした。本当はそんなことなかったかもしれません。でも分かりませんでした。

幸いなことに女子は、助けてくれることはなかったですが友だちから外されたり悪口を言われることはありませんでした。


夏休み明けに学校に行くのが本当に辛かったですね。実際何日か休みましたし。でも母親に明日(わたしが)学校に行かなかったら、(母親が)学校に呼び出されてるので行きなさいと言われました。それは今でも覚えています。わたしのことより、自分が学校に呼び出されることの方が嫌でそれを回避することを優先するんだって。また先生の中には、いつも下を向いて髪で顔を隠して歩くわたしに、化け物みたいだよと大きな声で言ってくる方もいました。まぁ終わったことですが今でも忘れられません。


いろいろ言われたり、されましたが夏休み明けくらいから落ち着いてきました。でもそれ以降わたしは男子とは授業でどうしても話さないといけない限り話せなくなりました。高校に行っても大学に行っても、社会人になった今も男性とは必要最低限のことしか話せないです。正直フレンドリーに話しかけられると、何か陥れようとしていると思ってしまいます。


多分いじめた方は忘れているでしょうね。

5、6年前に中学の友だちから連絡がきて、その頃の友だちたちとごはんに行きました。その際にわたしをいじめていた人たちの1人が若くして結婚し子どももできて、今では奥さんを大切にする子煩悩な父親になっているという話がでました。そして中学出身者のライングループに卒業生で入っていない数人の中にわたしがいたので、入るように言われました。毎年みんなで集まっているようでした。


その時信じられないくらい憎悪の念が湧きました。あー、全く許せてない。わたしの中ではあの時いじめてた人を中心にして、あのクラス、学年にいた人たち全てが濃淡の差こそあれ恨みに思っています。友だちたちのことも、結局薄っすら恨んでました。いじめてた人、周りではやしていた人、笑っていた人、知らんぷりしていた人。いじめる人、いじめてた人はずーっと恨まれてますよ。少なくともわたしは恨んでます。本人だけでなく、その家族や大切な人まで恨んでます。ちょっと引きますよね。

わたしも自分に引いています。いい加減前を向きたいのですけどね。なかなか難しいです。


いじめられていた時にちょうど読んでいたのが、宗田理さんの『ぼくらの〜シリーズ』でした。辛かった生活の中であんなにいい友だちがいたらと憧れました。そしてすごく慰められました。時代も価値観も違いますがすごく夢のある話ですね。



苦手なひとたち

自己評価の高い人と低い人がいますよね。

わたしは圧倒的に自己評価が低いです。なかなか自分のことを信じてあげられないです。

心の奥で、わたしなんてって思ってしまいます。これってどうしたら治るんですかね。

自己肯定感を大人になってから育むのは、ほぼ不可能ではないでしょうか。

可能なのかな。もしあったら教えてください。


話は変わりますが、わたしはもともと人付き合いが苦手ですが、特に苦手なタイプがあります。


 1. 根拠なく人のことを悪く言う人

もはや恐怖を感じます。主に中高年の女性に多いのですが、周りの人はもちろん、芸能人のことを性格の悪さや発達障害の有無、悪い癖や容姿についてこき下ろします。その人が彼女(彼)に何をしたのか、何がその方の琴線に触れたのかと考えますが、おそらく何もないのです。最近、同じ職場の五十代女性が同僚の年下女性が太っていることについて話題に挙げます。太ってるのにあんなピチッとした服を着るなんて恥ずかしくないのかという類の話です。わたしが解せないのは、彼女自身も丸太のような体型なのです。自分のことを棚に上げる精神が理解できません。十中八九、わたしのことも言ってるでしょう。近づきすぎないようにしています。よくいるおばちゃんなのですが。


2. 感情のままに怒りを表す

本当に嫌です。すぐ怒鳴る人、苛立ちや鬱憤を人に撒き散らして発散する人が苦手です。そういう人とどう対応したらいいのか分からないので、出来るだけ近づかないようにしています。わたしはよく鬱憤晴らしに使われるのですが、何かあれば自分に起こった嫌な出来事をまくし立てて気が済んだら嵐のように去っていきます。仲の良い人ならまだいいのですが、大して関わりもないのに自分の苛立ちをわたしにぶつけてきます。そういう人ほど、わたしが落ち込んでいると、もっとうまくストレス発散しないとねとおっしゃられます。わたしもクヨクヨする性格なのですが、すごい釈然としないものを感じてしまいます。これもよくある人なんで、いい加減スルーするとか拒否するとか対応できたらいいのですがなかなか。


社会にはこういう人はたくさんいるし、ほとんどの人は普通にスルーできるのでしょう。

書いていて情けなくなりました。圧倒的にわたしのコミュニケーション能力が低いことから起こってるのです。

出来るだけスルースキルを身につけていきたいです。そういう嫌な感情を背負いこまないようになれたらいいなぁ。


またまた話はかわりますが、山口恵以子さんの『月下上海』という本の最後に描かれた憲兵の最期や、鏑木蓮さんの『東京ダモイ』で描かれたシベリアへ連れて行かれる日本人たちの様子を読んだ時に、なんだかすごく恐ろしい人間の本性みたいなものを感じました。これって国の違いや戦争という特殊な状況下にあったこともあるかもしれませんが、こいつにならこれくらいしてもいいっていう鬱憤晴らしに見えます。大なり小なり人を傷つけるのはそういうところから出てくるように思います。どんな社会にもありますね。


こういうのって自己肯定感は関係してくるのでしょうか。人は平和には生きられないのでしょうか。


一つの仕事を続けられる人って尊敬する

仕事についての考え方っていろいろありますよね。好きなことを仕事にする とか、どうせやるならみんな仲良く楽しく仕事しよう! とか、仕事は生活していくため とか、自分を成長するため とか、人によってさまざまですよね。


わたしは、仕事上の関係者と飲みに行ったり、雑談したりするのがすごく苦手です。極端に言うと、仕事場では仕事の話だけしていたいとまで思っていたことがありました。

飲み会とか雑談している時も、いつも居心地悪く感じてしまいます。出来るだけ自分の話はしないで済むように必死でした。


どうしてこうなのかなって考えてみると、わたしは人に話せるようなことがないんですよね。

みんな仲良くなるためにいろんなことを聞いて、とっかかりを探しますね。休日は何をしているか、彼氏はいるか、趣味は何か、好きな食べ物は何か、とか。

わたしは人のことまともに好きになったこともないし、休日も寝てることが多いです。書いていて本当に情けなくなります。好きなものの話をしてちょっと打ち解けると、どんどん他の話題に広がっていくのも怖いです。


また時間が経つに従って、周りの人は結婚して子どもが出来るパターンが多いです。ライフステージが変わっていきます。

学生時代は数年で卒業するので、その間変化がなくてもそこまで目立たないです。だけど仕事で何年も同じ職場にいて、周りが変わっているのに自分だけ全然変わらないってすごく浮いてくるなって思います。周りの話題も恋人から結婚、子ども、家族と変わっていき、悪気なく、同じ状態になることを勧めてきます。普通のことです。


その度に、自分は普通じゃないな、異常だなって思ってしまいます。

そこで開き直れたらまた楽になれるでしょうが、それも出来ず。職場の人と雑談するのが苦痛になってきます。飲み会なんてお酒が入ると余計遠慮がなくなるので苦痛になります。


職業の選択が悪いのですが、転職してもなぜか、みんな仲良く楽しく仕事しよう! みたいな考えの方が多い職場に当たります。すごくいい人ばかりです。だけど最後はこれ以上ここにいるのが苦痛になってしまいます。


今の仕事は出来るだけ長く続けられるよう、付き合いは悪いけど、悪い人ではないというキャラクターになれるように頑張っています。最低限きちんと仕事をして迷惑にかけないように心がけます。


仕事というと、10年以上前ですが、五條瑛さんの『プラチナビーズ』っていう本を読んだときに情報機関のアナリストという仕事を知り、憧れていました。今でも探偵業とかへの憧れは尽きないですね。この本の題名にもなっているプラチナビーズという言葉の意味がわかった時、自分の生活をちょっと恥ずかしく思いました。面白かったです。


なかなか上手に生きれなくて

はじめまして くろすけ と申します。


人とうまく付き合えなかったり、過去にとらわれたりとなかなか前向きに生きられない女です。今まで少しでも楽になろうといろいろ必死でした。


ほとんど見当違いのもので、今でも全然上手に世の中を渡れていませんが、年をとった分少しでも楽になれてたら嬉しいなぁと思いつつ日々ひっそりと生活しています。


そんなわたしの見当違いな奮闘の記録などなどをブログに書かせていただきます。


ちなみに くろすけ は、宮部みゆきさんの三島屋変調百物語シリーズ『あんじゅう』の第3話 暗獣 にでてくる妖の名前から借りてます。

このシリーズは最近すごく落ちてる時期に読みはじめたのですが、静かに慰められました。

怪談ものですが、人との繋がりの中で起こる出来事の話なので怖い話もあれば、悲しいもの、ほっこりするもの、しんみりするもの、さまざまです。落ちてるときに読むのにおススメです。