うらないうらない

占いとかスピリチュアルなことが普通の人より好きだと思います。いっとき一回の占いに1万円くらい使ったり、占いを習ったりしたこともありました。スピリチュアルなことにもはまって2万円くらいのパワーストーンのブレスレット買ったりしていました。


世間で占いにお金を数百万とか数千万費やしました、とか借金こさえました、とかはありません。小市民なので大きなことは出来ないんですよね。せいぜい数万円レベル、規模小さ。


どうして占いとか不確かなことにはまったのかな。不安だから自分を肯定してほしいのか、孤独だから話を聞いてほしいのか、赤の他人に相談する方が気が楽なのか、わたしはすべて当てはまりますね。基本的にいい格好しいなので、自分の弱みを人に見せられないから、占い師の方にも本当のことを相談することは出来ないですが、自分の人となりとかいいことを言ってもらって安心や満足するみたいなことをしていました。占いを習ったのはただただ知りたかったんです。どういう仕組みなのか、でも習ったものによるのですが、改めて占いは習うものじゃないなと思いました。多分一つの方法だけだとあまり意味はなさないような気がしました。いろいろな鑑定を掛け合わせたり経験や人を見る目が合わさって、その人の求めているものに近づいていくのかなと。


あとは占い師のアドバイスはあんまり占い関係ないですよね。わたしは人を占うとかは出来ないので一方的な見方ですが、たくさん鑑定してもらった経験からはどのアドバイスも別にスピリチュアル的な、不可思議な能力によってなされるものではないのかなって思います。


もしかして不思議な力のある人もいるのかもしれませんし、いるなら是非会ってみたいですね。でもその占いで少しの間でも希望が持てたり、ポジティブになれる時間が持てるので、それはそれでいいことですね。


不思議でいうと、わたしは村上春樹さんの作品が大好きです。コロナで家籠りの期間が長かったので(それ関係なく籠りがちですが)村上春樹全作品集を借りて最初の作品から読み直してみました。年をとって読み返すと、若いときに好きじゃなかった作品も面白く感じました。それが1番強かったのが『ノルウェーの森』です。昔は救いのない話だなと思っていたのですがそうでもなかったです。村上春樹さんの話は死ぬことも生きることも初めから決まっていたかのように感じます。宿命的な〇〇っていう言い回しすごく好きです。結局、小さな世界で一喜一憂してるけど、人の生き死もある意味大したことないんでしょうね。