いじめる人は考えた方がよい

今の自分からは想像できませんが、わたし昔は誰とでも友だちになれるタイプでした。


それが変わったのは中学に入学した時でした。いわゆる中学受験をするように言われ、何となく行きたくないけど親に受験をしたくないとも言えず、ズルズルと受験して不幸なことに受かってしまいました。確固とした意思もなかったんですよね。今もですが、わたしの母親は自分の思い通りにならないと不機嫌になるタイプでした。姉は親に反抗的で弟は溺愛されていました。わたしは真ん中で中途半端、いつも母親の言うことをきいていたことを記憶しています。


わたしの中学は、地方の幼稚園からある附属学校だったので中学は外部進学して抜けた人数分しか入りません。そのためクラスでも中学からのメンバーは40人のうち5人でした。

何とか既にできている女子グループに入れてもらい、学校生活に慣れ始めた頃、クラスの男子からいじめを受けるようになりました。最初は教室内を歩くと、キモいなどの悪口を小さな声で言われるようになりました。その時は何もしてないのにいじめられるとは思ってなかったので深く考えてなかったです。でも数日のうちにすれ違いざまに大声で悪口を言われるようになり、廊下でも他クラスの見たこともない男子たちからキモいキモいと言われるようになりました。席替えでは、わたしの隣になった男子は大声で文句を言い、係活動でわたしとペアになった男子は泣きました。

1学期が終わる頃には休み時間に席から動くことができなくなりました。当てられて発表しないといけない時も発言したらまた何か言われるかもしれないと声もどんどん小さくなっていきました。周りは幼稚園からの友だち同士、わたしはよそ者で誰が味方で誰が敵か分からず、どこに行っても悪口を言われている気分でした。本当はそんなことなかったかもしれません。でも分かりませんでした。

幸いなことに女子は、助けてくれることはなかったですが友だちから外されたり悪口を言われることはありませんでした。


夏休み明けに学校に行くのが本当に辛かったですね。実際何日か休みましたし。でも母親に明日(わたしが)学校に行かなかったら、(母親が)学校に呼び出されてるので行きなさいと言われました。それは今でも覚えています。わたしのことより、自分が学校に呼び出されることの方が嫌でそれを回避することを優先するんだって。また先生の中には、いつも下を向いて髪で顔を隠して歩くわたしに、化け物みたいだよと大きな声で言ってくる方もいました。まぁ終わったことですが今でも忘れられません。


いろいろ言われたり、されましたが夏休み明けくらいから落ち着いてきました。でもそれ以降わたしは男子とは授業でどうしても話さないといけない限り話せなくなりました。高校に行っても大学に行っても、社会人になった今も男性とは必要最低限のことしか話せないです。正直フレンドリーに話しかけられると、何か陥れようとしていると思ってしまいます。


多分いじめた方は忘れているでしょうね。

5、6年前に中学の友だちから連絡がきて、その頃の友だちたちとごはんに行きました。その際にわたしをいじめていた人たちの1人が若くして結婚し子どももできて、今では奥さんを大切にする子煩悩な父親になっているという話がでました。そして中学出身者のライングループに卒業生で入っていない数人の中にわたしがいたので、入るように言われました。毎年みんなで集まっているようでした。


その時信じられないくらい憎悪の念が湧きました。あー、全く許せてない。わたしの中ではあの時いじめてた人を中心にして、あのクラス、学年にいた人たち全てが濃淡の差こそあれ恨みに思っています。友だちたちのことも、結局薄っすら恨んでました。いじめてた人、周りではやしていた人、笑っていた人、知らんぷりしていた人。いじめる人、いじめてた人はずーっと恨まれてますよ。少なくともわたしは恨んでます。本人だけでなく、その家族や大切な人まで恨んでます。ちょっと引きますよね。

わたしも自分に引いています。いい加減前を向きたいのですけどね。なかなか難しいです。


いじめられていた時にちょうど読んでいたのが、宗田理さんの『ぼくらの〜シリーズ』でした。辛かった生活の中であんなにいい友だちがいたらと憧れました。そしてすごく慰められました。時代も価値観も違いますがすごく夢のある話ですね。